人生五十年。
今や、元気に働く事が出来る年月になっている今日。
『反面教師』を保つわが家は、少し早めの折り返しに入ろうとしているのである。
ニ:「おかあちゃんは、何歳で亡くなったんやった?」
よ:「61。早すぎるよな・・・」
ニ:「よめちゃんはまず、おかあちゃんの歳をこえて、その先の人生も、味わえるようにせなな。61には、おかあちゃんに報告せなな。」
よ:「おかんの歳までおれるやろうか?」
ニ:「そん時はお祝いするか。あと40年は、よめちゃんと一緒の人生歩きたいな。」
四十年。
長いようだが、人の一生とはなんて短いものなのかと感じるのである。
十代
二十代
必死で何かを探し、訳も解らず走り過ぎる。
三十代
家庭をもち、新たな自分の家族が出来る。
四十代
子供と共に親として成長する。
五十代
子供が自立し、自分の親との関わりが、再び始まる。
六十代
親を見送り、次の人生の醍醐味を味わう。
というのが、一般的ではないだろうか。
しかし、『反面教師』はこう言うのである。
ウ:「うちはひいじいちゃんが里親しよったから、どっさり子供おったろうが。親の愛情がどういうもんかわからん。」
今となってそう言ったウダ男だが、
二十代以降の人生を、ママンに子育てのみならず、自分の両親の世話も曾祖父の世話も、
ましてや家業すらも任せたのである。
自分のしたくないことは妻に任せ、周りがお膳立てしてくれた事に対しては、揚げ足をとる。
一から自分でしてみろ!
と言われると、言い訳をする。
まるで政権交代をした民主党である。
ママンが実母(以後ゴッドママン:GMと表記)の介護のために山を去った今、
祖父とママンの代わりになる人材がなんとしてでも必要である。
よ:「ねえねえ。お父さんはいつ、自分の責任を果たすの?」
ニ:「俺はああならんように!って思てるから、堪えろ!父ちゃんは未だに、母ちゃんが出て行った事に納得いかんのよ。」
よ:「はい?お母さんがパート行って、自分の収入で子供4人育て上げて、元気に車で走り回ってた自分の親の洗髪までしてた事も知らんやろ?」
ニ:「自分に都合の悪いことからは目そらして、聞きたくないことは耳ふさいで忘れるさ。父ちゃんから見たら母ちゃんは、申し分ない嫁やったやろ。だから、出て行かれたことに納得出来んさ。」
よ:「は〜??その考え方が理解出来ん。自分に問題だらけやん!?」
ニ:「母ちゃん側から見たら最悪さ。父ちゃん側から見たら、最高やろうが。」
よ:「あぁ・・・・そういうことね・・・」
ニャ王と一緒に御輿を準備する。
ウダ男には、ただ乗ってもらうだけにする。
それがニャ王と私のこれから先の任務である。
ニ:「行く行くは俺らがその御輿に乗る事になる。でもその御輿には担ぎ手が居るからこそ、栄える事が出来る!ってこと忘れたらいかん。」
ここで注意点が一つ。
ニ:「よめちゃん気付けとかんと、抹茶が狩る気配を出しとるぞ。イライラしてるのは俺も同じ。でもうちの中には持ち込まんようにせんとな。」
わが家の監視官『抹茶』が、
ま:(大丈夫?何かあった?わかった!ボクがやっつけてやる!!)
結局、矛先が私にくる!?気配を感じながら過ごした、一週間なのであった。