ちょっと考えてみました。
もし、アフロの耳が聞こえていなかったら。目がみえていなかったら。手足が全て機能していなかったら。
でもそれでも、アフロはアフロ、私の家族。何の変わりはないとおもう。
いつ、アフロの鳴き声が聞こえなくなるかわからない、そう考えると、泣き声すら、大切にしたいと思いました。
おしっこやうんち、ちゃんと自力で出来なくなるかもしれない、トイレシートをみるたびに、最近ぢゃ安心もします。
命には、かならず終わりがあるのでしょう。
どうなんだろう。
アフロの最期をみとるくらいなら、アフロ、ママが死んじゃうまで生きてよ、ママより先なんてだめだかんね。みなさん、こう感じることありませんか?
人もそう、犬もそう。
一日、今、瞬間の大切さ、よく考えて感じてもらいたい。
何が明日起こるかなんて、わからないぢゃないですか。
だからこそ、たくさん笑ってほしい、たくさん楽しんでほしい。
悩んでばかりいないで、落ち込んでばかりいないで。
せっかく出会えたいつもblogにあそびにきて下さるみなさん、何かの縁あって、わんちゃんと暮らせているんだと私は思うから。
わんちゃんが居る生活が当たり前になってはいませんか?
当たり前や普通が、何よりの幸せだということ、日々感じてもらいたいです。
私もかならず、アフロとの別れがくることと思います。
だから今はたくさん叱ります、たくさん笑います、最期にたくさん泣いてあげられるように、アフロとの時間を宝物に出来るように。
今日という日も、私やアフロ、みなさんやわんちゃん達に、幸せな時間でありますように☆
考えてしまって書き込みました(*_*)こんな日もあっていいか☆アフロママでしたo(^-^)o